日本百名山を終えて

 

 

安田学園OBの皆様こんにちは。私は、今年7月26日に槍ヶ岳を登頂して百名山を達成しました。私が初めて百名山に登ったのは、大学一年生の時に水と渓谷の会≠ニいうサークルで行った北海道の雌阿寒岳(めあかんだけ)だけです。この山は活火山で、木一つ生えていない荒涼とした山頂の噴煙とコバルトブルーの沼は、今でも私の目に焼き付いています。もともと自然が好きだった私は、大学時代の4年間は渓谷歩きを主とした山歩きをしていましたが、社会人となってからは、結婚して子供も生まれ、膝を痛めたことも影響して、山に行くことも無くなっていました。しかし子供達が大きくなったのを機に、しばらく遠ざかっていた山歩きを再開しました。この時、深田久弥の著した「日本百名山」を知り、どうせ山に登るならしっかりとした目標を決めようと思い、家族と一緒に登った乗鞍岳を機に、60歳の還暦までに百名山を登ろうと決心しました。37歳の時です。100座目は富士山にして、赤いチャンチャンコを着て登ろうと決心しました。初めの頃は、家族や山の好きな安田学園高校時代の友人と一緒に山に登っていましたが、勤めていたアパレル企業の得意先の婦人服ブティックの社長と山の会を作ることとなり、会員を募集し、多い時には同業他社のメンバーを含め12名の会員が集まりました。素人の集まりでしたので、神奈川県立登山訓練所の沢登り講習会に参加したり、体力と経験でAチーム・Bチームとチーム分けをして山行きをしていました。そのうちメンバーが徐々に減って精鋭だけが残り、休みを利用して北アルプスや南アルプスなどを踏破し、8年間で50座を達成しました。私が45歳の時です。46歳の時に、一人で北海道の山を1週間で4座登りました。毎日10時間以上山を歩き、下山してからは翌日の山を目指して車で200q以上を移動しました。1週間のほとんどは車中泊か無人の山小屋泊で、布団でゆっくり寝られたのは1日だけというハードなスケジュールでしたが、一番記憶に残る山行きでした。47歳の時に、勤めていたアパレル企業の業績が悪化したこともあり、知り合いとアパレル企業を立ち上げるために会社を退職しました。退社と新規立ち上げというストレスから、精神的なダメージがかなりありましたが、山に行くことがこれを癒してくれました。この頃、九州の九重山・祖母山・阿蘇山を一人で登っています。48歳の時に、安田学園の先輩である塚本会長との縁で升本フーズにお世話になることとなりました。弁当事業の立ち上げの時だったのでとても忙しく、毎日始発のバスで会社に行き、最終のバスで帰るという生活を送っていましたが、新しい仕事に取り組むということでやりがいがあり毎日が充実していました。休日も以前に比べたら少なくなりましたが山に行くことにより満足感、充実感がいっぱいでした。99座目は富士山。本当は富士山が最後のはずでしたが、諸般の事情で予定変更となり、槍ヶ岳が最後となりました。100座目の槍ヶ岳は、山行きの2週間ぐらい前に私が左膝を痛めたことで、当初計画していたルートを変更して、上高地からの往復ルートにせざるを得ませんでした。山行きは、いつも自分の体調との相談です。痛み止めの薬を服用しながらの登山となりましたが、どうにか槍ヶ岳登頂に成功しました。天気も味方をしてくれたのでしょう。山頂からの360度見渡せる景色は、本当にすばらしい物でした。60歳までに百名山を登るという目標を定めたことで、普段からエレベーターやエスカレーターを使わずに階段を利用する、極力乗り物を使わずに歩く、通勤も自転車通勤をするなど、常に足腰を鍛えることを主眼に置いていました。そのおかげで、今の健康な私があるのだと思います。山行きは、計画性・体力・気配り・根性が重要です。また山の会を主催することでのリーダーシップなど、山行きが、私の仕事や人生などと深く密接に結びついていると感じています。最後に山行に全面的に協力していただいた塚本会長、アパレル時代から百名山のほとんどを一緒に登った高橋君、早朝から食事を作ってくれた妻、本当に心から感謝しております。ありがとうございました。

昭和46年普通科卒 坂本美雄