私の履歴書 松田繁一郎氏
商業17回A組昭和18年12月卒業医学博士
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戦局酷しいなか、召集令状赤紙がきたのでしたが海軍委誕生の身分証明により即日帰宅となったのでした。日毎に悪化、B29による空襲は、激くなり東京の多くが消失し、なかでも本所・深川をはじめ下町界隈は惨憺たる酷い有様でした。多くの友を失ったのです。 |

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恩師 宮崎先生を迎えて |
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片桐節治 伊藤喜一郎 石坂荘一 小西高美 |
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沢村幸一 筆者松田 堀川昭一 恩師宮崎先生 山口幸三 湯浅聡一 |
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ある日、職員室に突然元気な声が飛び込んで来た、なんと懐しい旧友片桐節治君だった。生活力旺盛な彼は元気一杯、教職員から生活品の注文をとっての便利業をしているのだった。さすが彼らしく実に立派で頭のさがる思いでした。まさに当時を偲ぶよすがであった。 昭和21年終戦の翌年夏、新聞に「国立東京医科歯科大学予科生募集」の記事が目に入った。歯科と医科合計80名募集入学試験日7月27日、筆答試験とあった。場所は本郷区3丁目1番地と記してある。何気なく様子を見に出かけるとした。 未曾有のインフレは日毎に激しく、円の切り下げから新円の切り替えなど、またお米の配給などと何もかも不透明で先が判らない不安な時代でまさに五里霧中だった。 予科・学部6年を経て卒後病理学を選考したのでした。病理学とは臨床と病因(エチオロギー)を検索し研究する部門であって、主として病死した患者の病理解剖を、例えば肺炎で死亡した場合、単なる肺炎球菌など肺自身に起因した肺炎だったのか、直接の死因は肺炎であっても、肺に癌があったから併発したというのか、しかしその肺癌は肺の原発でなく他の臓器(例えば口腔癌)に初発した癌が転移したものなのか、つまり解剖による肉眼的所見と組織学的顕微鏡的検索により病気の経緯を確認し病理学的診断書を作成するのである。又臓器に腫瘍らしいものがあるとしたら、それが癌や肉腫のような悪性なのか、否大きくても良性なのかを確認するため、その組織を切り取って、生化学的、顕微鏡的組織検索(プローベ)をするのである。そして病理組織診断書を書くのである。斯様な仕事を「パトローグ」と言う。在任中、受け持った病理解剖は、150体余になる。病理解剖は、死後の組織的変化が少ないうちに、即ち出来るだけ早くに解剖(ゼクチオン)するので、その当番に当たっていると、昼夜の別がない。又、出張解剖(墨東・日赤・賛育会・警察病院など多く)ともなると摘出した臓器をホルマリンに浸しての持ち込みに苦労を伴うのだった。また同時に学生の指導と講義をするなど「文部教官」として多忙な9年間、国の内外の学会に出席し、それらの学会に発表する症例報告や研究成果など休む暇は全くなかった。かくして最後のまとめをして、AmericanJournal
Pathology等に発表するのだった。 病理学研究室に別れをつげて歯科臨床医として診療所を開設し、安田学園に近い亀沢町北斉通りで次男と一緒に診療に、又一方歯科医師会役員として、医師会対歯科医師会、東京都衛生局と歯科医師会、そして地元歯科医療行政との建設的話し合いに努力しなくてはならない立場になったのでした。 休日歯科応急診療の大切さは、乳幼児や子供を始め高齢者の歯科診療になると、各医療機関が、休祭日を一斉に休診するため、疼痛に悩まされたり骨折や咬合不全とか突発的急性化膿性症状が発症すること等の救急に対応が出来ないため、地区歯科医師会会員の協力を得て、休日診療を当番制で実施出来るよう制定する必要性を提案し、東京都58の地区歯科医師会の賛同を得るため、各地区を夜遅くまで説明し行脚したのでした。 いろいろ反対もあったが、代議員諸氏の賛同を得て代議員会の承認議決をとり、都下全域で実施されるに至ったのでした。 また、障害を持たれている人々への医療給付は決して充分でない状況でした。「心身障害者」に対し早期に「心身障害者口腔保健センター」の設立のため、東京都歯科医師会に設立準備委員会を開催するように企画したのでしたが、設立場所も、予算もなく、目処がつかない状況だったのです。心身障害者に注射したり麻酔したり、障害ある患者にとって、開口するだけでも困難な事であるのに、歯牙削合など本人の努力と付添人の協力は、欠くべからざるものがあり、簡易な治療ではなく、歯科医にとっては患者の病歴を充分知った上で全身管理の下、多くの注意を払いつつ診療することは当然であるが、大変なことであり、健常者の診療とは大きな違いである。大きなハンデがあるのである。 「心身障害者歯科口腔保健センター」設立についての構想を練っていたところ、たまたまある結婚式に偶然同席した大学の同窓生に障害者医療について話したところ、その彼が陸軍士官学校時代同期だった者が都庁にいるので紹介しようと言うのでした。早速お会いしたところ、以前衛生局長をされ当時都の副知事をしている貫洞哲夫氏だったのです。 早速、心身障害者の医療について構想を話したところ、快く受けてもらい心からの賛同を得たのであった。丁度その時、都の計画に、神田川の一部を暗渠にして、その上に都の施設を建設する予定であるとの由、そこに建設してはどうかとの事でした。早速、設立準備委員会を開き、東京都の委託事業として、東京都歯科医師会が運営することに決定し、予算上の心配もなく、トントン拍子に協定が成立したのであった。 「東京都立心身障害者口腔保健センター」(JR飯田橋駅前)が首尾よく誕生し、開設出来たことは、障害を持つ人々へ多いな福音であり、ともに嬉しい限りであった。 まさに一期一会「縁は異なもの味なもの」であると痛感したのである。 現在、神尾先生ご夫妻、深見兄一家をはじめ、宇田川先生や沢村、小西両君の奥さん方、また、この度大変お世話下さった安藤允浩先生や本間信行さんの皆様方また曽っては須賀先生の治療もさせていただきました。又、亡き稲葉政雄さんとは治療と共に親交の仲でした。早いもので卒後64年になりますがおかげにて元気で今もなお現役で頑張ってます。今は亡き幽明界を異にされた、恩師宮崎秀春先生をはじめ、石井教官、また須賀先生には大変お世話になり、心から御礼を申し上げて冥福を祈ってやみません。 |
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診療所:墨田区亀沢1-12-9 |
