『同窓会会報』100号の歩み

 

 

 

 

 

1

昭和40年5月会報の発刊を祝す/戦後二十年を顧みて

51

平成3年5月安田一理事長がご逝去増上寺大殿にて

2

41年5月総合グラウンド完成鎌ヶ谷町丸山台に

52

12月安田商工教育会理事長に安田弘先生ご就任

3

11月将棋十四世名人木村義雄氏講演要旨

53

4年4月高校バスケ東京都で念願の初優勝全国大会に

4

42年4月体育館落成す/同窓会の新名簿を発行

54

1270周年記念事業の寄付金募集目標額二千万円

5

11月昭和42年度同窓会の総会報告

55

5年4月70周年記念募金応募額壱千万円に目標額の半分

6

43年4月「安田学園45年小史」の発行

56

12月石井校長ご逝去で学園葬/長谷川先生が新校長に

7

10月新校長に齋藤利忠先生丹治経三校長ご退任

57

6年4月佐藤仁先生が新学園長に冨田学園長ご勇退

8

44年5月新年度同窓会会長大国皓造氏が再任

58

12月中村栄太郎氏が第8代同窓会会長に就任

9

45年5月設楽敏男氏第5代同窓会会長に就任

59

7年4月春高バレー3年ぶり2度目の出場決定・全国切符

10

10月電算機の導入始動式盛大に行われる

60

12月田極義明氏寄稿「阪神大震災と今後の対応」

11

46年5月名誉校長・丹治経三先生が急逝

61

8年4月珠算クラブ・平野恵健君全国大会へ2年連続出場

12

10月草加支部結成支部第1号誕生

62

12月前神奈川県知事・長洲一二氏が勲一等瑞宝章受章

13

47年5月50周年記念事業計画決定募金目標参千万円

63

9年5月北館改築決定、南館は耐震補強

14

48年3月50周年記念北館新校舎建設決定5階建約9百坪

64

12月北館改築工事の概要が明らかに

15

5月50周年記念北館校舎の地鎮祭行わる

65

10年5月新校長に鈴木久男先生長谷川雅行校長ご勇退

16

11月創立50周年に彩り添える安田祭

66

12月北館完成に伴う寄付金募集目標額壱千万円

17

49年5月創立50周年記念北館新校舎落成

67

11年5月柴山一男氏が第9代同窓会会長に就任

18

11月同窓会会則改正支部設置を明確化、年会費5百円

68

12月北館竣工なる募金目標額の壱千万円達成

19

50年5月長洲一二神奈川県知事誕生商業第10回卒業生

69

12年5月機械科が63年の歴史を閉じる

20

11月湯沢セミナーハウス落成

70

12月高校卓球40年ぶり3回目のインターハイ出場

21

51年5月第6代同窓会会長に小林美之助氏を選出

71

13年5月古谷淳氏が第10代同窓会会長に就任

22

12月高校野球部大活躍東東京ベスト8に

72

14年5月(H13年度大学合格状況)念願の東京大学合格者

23

52年5月新校長に宇田川博光先生齋藤利忠先生ご勇退

73

15年5月創立80周年記念の寄付金募集

24

11月相撲部関東大会で準優勝

74

12月創立80周年記念式典挙行、祝賀会開催

25

53年5月長洲一二神奈川県知事(商業10回卒)を訪問

75

16年5月高校卓球全国大会個人戦でベスト8に

26

12月湯沢セミナーハウス同窓生にも開放されてます

76

12月中学バレーボール全国大会2連覇の偉業

27

54年5月スポーツ振興会募金発足60周年同窓会記念事業

77

17年5月(H16年度大学合格状況)3年ぶりの東大合格者

28

12月中学柔道部全国大会出場

78

12月中学バレー全国大会に5回連続5度目の出場

29

55年5月創立60周年記念募金応募額壱千五百万円に

79

18年5月英語コース第1期生ニュージーランド語学研修

30

11月オンライン用コンピュータ導入情報教育が向上

80

12月高校卓球インターハイに2種目出場

31

56年5月戸澤芳郎学園長が勲二等瑞宝章を受章

81

19年5月鈴木久男校長ご退任新校長に鈴木行二先生

32

12月創立60周年記念募金応募額弐千万円に

82

12月松村正一氏が第11代同窓会会長に就任

33

57年5月前学園長・齋藤利忠先生がご逝去

83

20年5月安田ゴルフ会100回の歩み

34

12月宇田川博光校長が東京都功労者都知事表彰受賞

84

12月同窓会のホームページ開設http://yasudaob.com

35

58年5月創立60周年記念募金目標額の参千万円突破

85

21年5月錣山(元関脇寺尾S54中退)部屋の朝稽古見学

36

10月創立60周年記念祝賀会錦糸町ロッテ会館で

86

12月錣山親方講演「私の相撲人生今日一日の努力」

37

59年5月懐かしの横網校舎講堂で最後の同窓会

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22年5月牛島隆太君(一貫4年)が歌手デビュー

38

11月安田学園本館校舎改築工事に着手

88

12月安田善次郎翁の伝記相次ぎ四冊も発刊

39

60年5月井筒部屋の寺尾に化粧まわしを募金目標百万円

89

23年5月安田弘理事長寄稿「学園の目指すべき方向」

40

10月植村昭氏が第7代同窓会会長に就任

90

12月斉藤実氏77歳(S30卒)8度目の世界一周単独航海

41

61年5月安田学園新本館校舎が竣工

91

24年5月斉藤実氏が『植村直己冒険賞』を受賞

42

11月墨田・台東に支部設立の機運本部が積極的支援

92

12月創立90周年募金活動開始目標金額2千万円

43

62年6月講堂・体育館新装なって竣工

93

25年5月安田ナインが甲子園初出場第85回選抜高校野球

44

12月同窓会総会新装なった母校で盛大に開催

94

1290周年記念式典/第12代同窓会会長に中島義勝氏

45

63年5月新校長に石井弘司先生宇田川校長ご退任

95

26年5月蓮沼清新校長就任挨拶「自己実現を目指して」

46

12月鎌ヶ谷研修所の改築決定

96

12月杉下茂氏講演「私の野球人生制球こそ投手の命」

47

平成元年5月戸澤学園長ご勇退冨田修平先生が新学園長に

97

27年5月卒業式での会長祝辞「232名の卒業生に栄光あれ」

48

12月鎌ヶ谷研修所が完成

98

12月中学校柔道部団体戦で全国初制覇!

49

2年5月鎌ヶ谷研修所竣工披露同窓会より記念品を贈呈

99

28年5月難関大学へ現役合格者が急増中

50

12月スポーツ振興スマイル基金同窓会が三氏を表彰

100

12月(同窓会会報100号記念)会報誌第百号を迎えて

 

 

 

 

 

 

 

 

◆歴史の記録

お陰様で、安田学園同窓会の機関誌「同窓会会報」はこの度、記念すべき百号を迎えることができました。当初は年1回のペースでのスタートでしたが、5年目からは年2回の刊行を続け、足かけ52年目での百号達成です。これも偏に同窓生である会員の皆さまや、安田学園諸先生方のご支援とご協力の賜物であります。この節目にあたり、心から御礼申し上げます。この会報誌は、戦後20年が経過した昭和40(1965)年5月4日、同窓会の第4代・大国皓造会長と設楽敏男副会長(会報の発行責任者)のリーダーシップのもとに創刊されました。会員相互の交流と親睦を図り、同窓会の一層の活性化と連携を促進するには、情報発信源としての会報誌がどうしても必要不可欠でした。以来同窓会会報は、会員の皆さまに母校・安田学園と当同窓会の最新情報やトピック等を提供することで、当会の現状と同窓生の今を知っていただくことに重きを置いて参りました。と同時に会報には歴史の記録といった側面もあります。それは同窓会の活動記録を、後世の会員に伝えていくための貴重なデータベースとなることです。長年に亘る多くの先輩の血と汗の辛酸は当会の基盤です。会報はその先賢の偉業を参考に、更なる躍進を図るためのバイブルなのです。本稿を書き進めるにあたって初期の同窓会会報を読み返していると、創刊号の第一面に載っている二つの記事が目に留まりました。どちらも現在の「安田学園同窓会」が発足した頃を回顧したものです。一つは宮島正栄先生執筆の「戦後二十年を顧みて」、もう一つは須賀最教頭先生の「会報の発刊を祝す」です。以下、お二人が記述された文中の一部を引用し、それに当時の背景描写を交えながら展開して参りたいと思います。

◆終戦後の混乱期 

(宮島先生)「同窓会も終戦を転機として、会員の動静がさっぱり分からなくなってしまい、ただ学校の様子を心配して集まってくる卒業生を頼りに生徒の住所を調べたり、また恩師のところへ近況を報告に来る生徒から仲間の近況などを聞いたりして調べたりしたものであった。母校は接収され、九ケ年流転の生活が始まり、移転するごとに、書類は散乱してまとまらず、同窓会も一時、停頓の状況であった」。 昭和20(1945)年8月、日本は遂に敗戦を迎えます。東京の都心から下町にかけての一帯は焦土と化しましたが、隅田川東岸にあった安田の校舎や同愛記念病院の建物はなぜか罹災せずに残りました。ですが同年10月、GHQによって同愛記念病院が進駐軍の病院として接収されたのに伴い、安田の校舎もその関連施設の一つとして接収されてしまいます。横網の校舎を召し上げられた安田は、柳島小学校で2年、戦災で廃校になった横川小学校で7年、合計9年間も、仮校舎への移転・流浪を余儀なくされました。 (宮島先生)「その間一部の同志・有志が集い、同窓会再発足の気運が高まり、その第一回総会が昭和25(1950)年5月、まだ戦災生々しい横川小学校の講堂で行われたのであった。この総会で初代の役員には商一回の桑野栄一氏が会長に、副会長には二工建一回白鳥太郎氏と二工建六回の柴山幸四郎氏が推薦され承認された。ここに同窓会再発足の第一歩を印したのである」。

◆商・工別々の同窓会

再発足した同窓会は現在に至るまでしっかりと引き継がれていますが、終戦の混乱期に途絶えたとされる旧同窓会。それがどんなものだったのか、ちょっと気になったのですが、その答えは須賀先生の記述の中にありました。 (須賀先生)「大正12(1923)年に創立した東京保善商業学校と二年後に創立した東京保善工業学校は、昭和11(1936)年にそれぞれ安田商業学校、安田工業学校と改称されたが、同窓会は商・工別々だった。それがはっきりと合併されて安田学園同窓会一つになったのは、終戦直後に校舎が米軍に接収されたため、東駒形の仮校舎に移転して安田学園高等学校と(新学制により)改称され、苦難の第一歩を踏み出した時に符合するのである」。 同窓会は当時、商・工別々だったとあります。しかし昭和23 (1948)年4月、新制高等学校の発足に伴い、安田商業と安田工業の両校は一本化して、安田学園高等学校となりました。そしてこれと軌を一にするように、昭和25年5月に再発足した「安田学園同窓会」においても、双方の卒業生を対象とした全学的組織が実現することになったのです。 平成2712月発行の会報第98号に「安田工業学校機械科一回生」と題する寄稿文が掲載されました。執筆者の内田功氏がご自身の在学中の思い出を綴られたものですが、その中に次のような一文があります。「今の安田学園なる学校組織がどうなっているのかは知りませんが、私たちのいた安田工業学校は安田商業学校とはまったく別物で、両校はただ単に同じ校舎の中にあったというだけでした。商業の存在を意識したことは、ほとんどありませんでした」。 保善商工教育財団(現・学校法人安田学園教育会)といった共通の運営母体の下に設立された安田商業と安田工業ですが、相互交流に乏しく、親近感を覚えるような機会は少なかったことが窺えます。

◆全学融和が実現

 待ちわびた校舎接収解除の公式文書が、昭和29(1954)年7月、安田に届きます。そして創立31周年の記念日にあたる同年11月9日、遂に生徒・職員の全員が懐かしい横網校舎への帰校を果たしました。更に同月14日には創立記念式典が行われ、その席上、安田学園高等学校の校名を再び、安田商業高等学校と同工業高等学校の二本立てに戻すことが発表されたのです。 (須賀先生)「昭和29年の秋、本校舎に戻り、安田商業高校・安田工業高校と再び二校の形をとるようになってからも、同窓会は一本で発展してきた。そして今や学園内においては勿論、同窓生の間においても、商・工には隔てなく完全に一つに融合していると言ってよい。このたび同窓会の会報が発刊されることになったことは、誠に時宜をえたもので心から祝福しないではいられない」。 (宮島先生)「昭和30年4月、母校では時勢の推移に鑑みて、定時制(夜間部)の募集は停止し、高校卒業生を入学資格とする二年制の商工専門学校を夜間に設けることになり、同窓会としてはこの卒業生も会員にすることにしたのである」。

(文責 編集部・満岡)