安田ゴルフ会 120回を記念して(その1)

 

 

安田学園同窓会 第7代会長 植村 昭

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「安田会ゴルフクラブ」の長い歴史の中に、その時々の諸先輩方の熱き思いがあり、その思いを後輩諸君が継承しつつ、先輩たちをどんどん追い越してゆかれることを期待しています。

ゴルフ会の創始者

2018年5月、学校法人安田学園教育会の評議員会及び理事会において安田弘理事長が役員の若返りを意図されてご退任、尾崎嘉則・新理事長が就任されました。安田ゴルフ会の会則には、学校法人の理事長を当ゴルフ会の名誉会長に推戴する、とありますので、尾崎理事長にはその旨をお願い申し上げました。また安田前理事長には、引き続き当会の名誉顧問にご就任頂いております。

栄光ある今の「安田杯」は、安田弘前理事長から第100回のときに寄贈頂いたものですが、第119回を以って役割を終え、安田学園に寄贈することになりました。第120回では那須の前夜祭で、安田前理事長から一段と素晴らしい新「安田杯」が贈呈されました。前理事長ご出席の折にはご自身から、またご欠席の際には尾崎新理事長から、優勝者に直にお渡し頂けることになりました。

振り返ると安田ゴルフ会では、いつの間にか小生が一番古いメンバーになっていました。第26回に39歳で初出場以来46年間、約半世紀に亘り当会に在籍させて頂き、多くの先輩方のお人柄に接し、元気な後輩諸君とプレーできたことは喜びにたえません。当時の記録を見て先ず驚いたのは、このゴルフ会が有名コースで開催されていたということです。それらは当時の安田ゴルフ会の会員たちが在籍していたクラブのコースであり、ゴルフ全盛期の頃でもコンペはなかなか取れないコースでした。

安田ゴルフ会の歴史は、安田学園同窓会の歴史にも通じます。昭和30年代に入ると同窓会有志での親睦ゴルフ会は始まっていたようですが、昭和38年、正式に会則を作り「安田会ゴルフクラブ」として組織を立ち上げたのは第4代同窓会会長の大國皓造先輩(電気科卒)でした。その後のご尽力も並大抵のものでなく、今も連綿と続くこの会にとって最大の貢献者です。因みに、その頃のゴルフ会事務局は大國さんが経営する「瑞穂機電梶v内に置かれていました。

安田杯と歴代優勝者

安田ゴルフ会の歴史は、昭和38年6月の日高カントリークラブに始まります。栄えある第1回の優勝者は大國さんで、他の歴代優勝者は別表に記載致しました。このとき大國さんが当時の安田商工教育会の安田一理事長から頂戴した優勝カップが、最初の「安田杯」でありました。

安田一理事長は、第8回東京GC、第27回那須GC、第33回東京GC、第39回那須GCに出場されています。第1回安田杯(日高CC)出場メンバーは、岩永新二、吉永貞雄、鈴木和夫、清水正年、佐竹繁一、小林美之助、山岡三郎、中野喜一、大國晧造、前川栄蔵、柳沢義朗、伊藤豊三郎各氏の12名でした。

当時のゴルフ会は年に3回行われ、各回の優勝者が2年に一度安田杯の取切戦を行っていました。小生は昭和47年6月に鷹之台CCで入会、2度目は難コースの那須GCでした。当日は第4回目の取切戦もありました。

スタートと同時に6人のメンバーが2組に分かれて先に出ます。皆で見送ってから一般プレーに入るなど、なかなか格式があり実に厳かでした。その時何故か「よしこれだ」と心に誓ったものです。取切杯は柳沢さんが制し、一般プレーでは幸運にも、那須初挑戦の小生が優勝しました。

以後私は安田ゴルフ会には毎回アタック、ことに那須GCではファイトを燃やしました。そして昭和50年6月の東京GCにおいて、第5回の取切戦で初めての安田杯を手にしました。それは純銀製で、台座には各回の優勝者と取切杯の勝者の名前が刻まれ、ゴルフ会メンバー羨望の的であったのです。

雲の上の存在

1945年の財閥解体に伴い、当時「安田保善社」の安田一総長は翌年公職追放となりますが、1953年に安田生命の会長に復帰され、その後旧安田財閥の顔として活躍されました。安田善次郎翁の「今日一日のこと」の校訓は知っていても、安田家そのものは、同窓生からすると正に雲の上の存在でした。

そのような状況の中で、大國さんは並々ならぬ敬意で安田一理事長に接しておられました。那須GCでのパーティ後、安田邸山荘での二次会に伺う前には「くれぐれも失礼のないよう」との注意があり、お邪魔しても一時間経ったらお礼を申し上げて一斉に引き揚げるのが決まりのようでした。

山荘でお会いした安田一理事長は大変な酒豪で、明るく皆に接しておられました。小生も那須初参戦で優勝したことを褒めて頂きました。宴半ばには、小生にビールの飲み方を教えてやると立ち上って、腕を組んでの飲み方を教わったりもしました。そんな中で善次郎翁の話も出ましたが、「安田で一番は善次郎。それだけだ。私なんか戦後の財閥解体で、落魄の身だよ」と、笑いながら話されます。何をおっしゃいますかということで、別の話題に移りました。

お邪魔してから一時間ほどが経過し、大國さんが「そろそろお暇しましょう」と皆に声をかけると、「何だ皆帰ってしまうのか」と理事長が言われます。折角盛り上がった雰囲気を壊してはと思い「小林さん、私たち残りませんか」と大國さんに一言入れて貰い、二人が残ってお相手することになりました。安田理事長はとても喜んで下さいました。

暗黙のルール

安田ゴルフ会には暗黙のルールがありました。忙しいとは言うな、経営者が忙しいのは当たり前。一所懸命仕事をしてゴルフもやる。そしてゴルフは単なる遊びではない。一日一緒にプレーすれば、同伴者の人間性はほぼ判る。ルールは勿論、マナーもしっかりしなけりゃ駄目。初心者にとってー番大切な心構えを教えられました。また、年齢の話もここでは禁句でした。年の話は十年早いというのが先輩諸氏の考え方でした。

私も先輩たちの真似をし「先ずは仕事、次はゴルフ」で挑戦しようと心に決め、「仕事が忙しい」といった言い訳をするのは止めました。

2年毎の取切杯が終わるとハンディの見直しになります。小生はハンディ30から出て11年間で取切杯を3つ頂き、安田ゴルフ会でのハンディは7まで上がりました。オフィシャルハンディも52歳のときに、江戸崎CCでハンディ10になりました。私のゴルフは安田杯に挑戦することで向上したのです。

一流経営者のど迫力

最後の取切杯は第52回の那須GCで行われました。その前夜祭でも話題は取切杯に集中し、大いに盛り上がりました。出場メンバーは6名です。小生はアサヒビールで当時常務をされていた奥井さんと同組でした。普段は温厚な先輩でしたが、ここ一番の一戦に臨まれる姿には、ものすごい迫力がありました。

随分練習もされたご様子で、日頃とは違うただならぬ意気込みを感じました。最後の18番ホールで勝負が決まり、幸い勝たせて頂きましたが、さすがに一流経営者のど迫力には鬼気迫るものがありました。当日のスコアは、(奥井朗)45・48・93・H18・N75、(植村昭)41・42・83・H9・N74でした。最後の取切杯を頂きましたが、長くも感慨深い一日でした。

小生が同窓会会長を小林先輩から引き継いで間もなく、当時理事長の安田一さんが、そろそろご子息の弘さんを安田ゴルフ会に入れたいと話されたとき、一同拍手し皆で喜んだものです。安田弘さんは、長身でスポーツマン、ドロー系のボールで大変お上手でした。ことに那須GCでのプレーは抜群で、手前のフェアウェイからかけ上ってピンに寄せたり、難しいグリーンも熟知、見事なパターを見せて頂きました。たまたま小生と同年齢で、同窓会の活動を通していろいろとご指導頂きました。

小針春芳プロ

小生は73歳のときに膝を壊し、一年半ほどゴルフを休んでおりました。そんな折、安田弘理事長が那須ゴルフ倶楽部の理事長をご退任。「那須GC会報」などに掲載し記録として残したいので、小生に那須GCの写真をとのご依頼がありました。膝の故障を理由にゴルフから離れるな、と言われたような気がしてお引き受けしました。

秋のある日、クラブハウスに前泊。翌早朝カートに乗ってゴルフ場を巡り、写真を撮りました。支配人さんが、折角見えたのだからご一緒にとハーフを回りました。昼食後、少しお待ち下さいと言われスタートに立っていると、小柄なお爺さんがヒョコヒョコと出て来ました。メンバーさんとご一緒になるのかと思った瞬間、「小針です」と挨拶されてびっくりです。

小針春芳プロは、那須ゴルフ場のキャディからプロになられた方で、日本の草分けプロでもあります。現在は月2回ほど回るということでしたが、支配人さんが気を使って下さり、二人で回ることになりました。私は膝痛でゴルフになりませんでしたが、小針さんが随所で見せるショットは、全く年齢を感じさせないものでした。小気味よく、実に綺麗でした。これもまた忘れられない思い出の一つです。

同窓会での募金活動

初優勝し最高の気分で帰途につこうと車に乗り込んでいると、同窓会で副会長の小林美之助さんから同乗の依頼がありました。帰路の車中で小林さんが「今般、同窓会の会議で、湯沢に生徒たちのセミナーハウスを造り、学校に寄付することが決まった。自分が募金の責任者になるので是非協力を」と真剣な眼差しで語られるので、同乗の中川敏雄君共々「協力します」とお答えしました。

いよいよ五十周年事業の一環として、募金活動が開始されました。その頃は卒業生の各クラスごとに幹事がいたので、彼らと頻繁に連絡を取りあって本格的な募金のシステム作りに着手しました。

学校側の須賀先生、宮国先生、桜岡先生からは、陰に陽にサポートが頂けました。卒業時の担任の先生から情報を頂戴したり、予め電話をして頂いたりで、クラス単位での募金集めが可能となりました。ゴルフ会のメンバーも独自の情報網を駆使して積極的に動きました。「安田には、伝統的に寄付がない」と突っぱねる卒業生もいましたが、趣旨を説明し協力してもらいました。

募金活動が無事終わり、湯沢山荘も完成しました。募金の実行委員長として何とかやり遂げたという安堵感がありました。皆さんの総意で湯沢山荘に須賀最先生の赤銅のレリーフを飾らせて頂きました。以降は次号に続きます。