バレーボール部OB会の活動

 

 

 

 

 

バレー部OB「インターハイ出場60周年の集い」を開催

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平成30年8月4日、第一ホテル両国・東天紅に於いて「安田学園バレーボール部/インターハイ出場60周年の集い」が開催されました。昭和33年8月山口市で開催されたインターハイに本校バレー部が初めて出場を果たしましたが、今年でその60周年を迎えたのを記念して、関係者が集い当時を偲びました。

この席上、バレー部のルーツについて荒木先輩(昭24年卒)や西村勇元監督(昭27年卒)から、又その他参加者からもバレー部創設当時のことがいろいろと語られましたので、この機に、バレー部の生い立ちについて記録に留めておきたいと思い立ちました。

当バレーボール部は、本校校舎がGHQによって接収され、柳島小学校の建物に仮住まいしていた昭和21年2月頃、その屋上で当時の有田先生が中心になり、輪を組んでプレイしていたのが始まりのようです。

昭和29年には校舎の接収が解除され、生徒・職員の全員が懐かしい横網校舎への帰還を果たしておりましたが、昭和31年になると、松井恒吉先生がバレー部の顧問となられ、また安田出身で「明治大学体育会バレーボール部」を卒業されていた西村先輩を、当部の監督として招聘。本格的な部活動が行われる体制が整いました。とはいえ当時の本校は、財閥解体の余波もあって財政的に極めて厳しく、監督の職務は無報酬だったと聞きます。

部活動の始まりは昭和31年夏、群馬県「新鹿沢温泉」の旅館に泊まり、近所の中学校校庭を借りての合宿でした。部員15名がルンルン気分で上野から列車に乗り込んだところ、「持参したお菓子は全て取り上げられてしまった」と、松崎昌治先輩(昭32年卒)や中村高章君(昭34年卒)が述べています。

「練習では腰がたたなくなるほど絞られ、和式トイレで立ち上がるのが本当にしんどかった」。神宮壽男君(昭34年卒)の回顧談に座が盛り上がりました。

それからというもの、期末試験の一週間前と正月の三が日を除いては、全く休み無し。毎日毎日、校庭が暗くなるまで泥まみれになっての厳しい練習が続きました。「当時はうさぎ跳びで足腰を鍛えるのが主流で、コートを5周、10周とよく跳ばされたよ」。藤田辰二六君(昭34年卒)たちから異口同音に語られました。

また、藤沢遊行寺での合宿(行商が宿泊する旅館に宿泊し、遊行寺に隣接されていたコートを借用)で、藤沢高校と藤沢商業高校(当時はこの2校が全国制覇を果たしていた)に胸を借りた武者修行の件では、「藤沢高校の先生が我々を自校の生徒同様、厳しく指導してくれたのには驚いた」と関俊雄君(昭34年卒)。この頃には、荒木先輩の勤務先である日立製作所から、同社工場の宿泊施設とコートをお借りしての合宿も行われました。

実業団を含めた総合関東大会では日本鋼管と戦う機会がありましたが、その折、金子正司君(昭34年卒)は、あの松平康隆さんが、監督かコーチと思しき人に「松平チョット来い!」と大声で呼びつけられ、忠告されるのを目撃しています。松平康隆さんとは、後に全日本男子チームの監督になられた方ですが、あれほどの大物でも、若いときには怒られることがあったようです。

明治大学の学生の方たちに時々来校いただき、指導を受けることもありました。吉田康友君(昭34年卒)は、沼上晃氏(昭32年藤沢高卒)や服部雅氏(昭33年直方高卒)に「ジャンプの仕方を教わったお陰で、ジャンプ力が格段に増した」と述懐しています。

この様に数々の厳しい練習によって、技術面ばかりでなく精神面でも鍛え抜かれ、また、様々な経験を積ませてもらったことが、昭和33年7月、全日本大会の東京予選で優勝を遂げ、インターハイに出場できる原動力になったのだと思量いたします。

東京予選での一回戦は不戦勝。しかし二回戦(対聖橋)から、三回戦(対上野忍岡)、四回戦(対修徳)、五回戦(対隅田川)、六回戦(対三商)、そして準決勝(対明治)までの6戦は、全て2−0のストレート勝ちによる快進撃でした。決勝は抽選で中大杉並に勝って、本校バレー部が優勝しました。インターハイへの東京都代表は二校といった枠があるため、安田学園と中大杉並が出場することになりました。

全国大会では、予選で大館鳳鳴(秋田)に敗れたものの、敗者復活戦で松商学園(長野)に勝って本戦進出。その一回戦では前橋商(群馬)に勝ちましたが、二回戦で惜しくも名門・崇徳(広島)に敗れてしまいました。

当時、安田の強みは、吉田康友君のストッパーをかわしての強烈なアタックと、女房役のセッター武田二郎君(故人)の正確なトスでした。後衛・中衛のレシーブにも安定感があったし、そして何より、チームワーク力が抜群だったことです。

これらは、云うまでもなく西村監督の強力な指導力によって培われたものです。また、インターハイに出場できたのは、須賀教頭先生や松井先生および諸先輩をはじめ、関係者の方々の物心両面にわたるご支援に支えられての賜物だった、と感謝しております。

インターハイ出場60周年を顧みますと、厳しい練習に明け暮れ、その結果としてインターハイに出場できたことは我々の誇りであり、「安田学園バレーボール部」の伝統として後輩に引き継がれていることを嬉しく思っています。

また、安田学園は男女共学となり、実業校から進学校に変身。文武両道の人間力向上を目指していますが、部活でも勉学でも精一杯に力を注いでこそ、何かが掴めるものと信じます。後輩諸氏の頑張りに期待しております。

 

 

昭和34年商業卒 菅野満雄

 

 

 

 

 

平成29年度バレーボールOB会を開催

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平成30年2月24日()午後6時から、浅草の「神谷バー」においてバレーボール部の定例OB会が開催されました。参加者は総勢28名でした。

OB会・白鳥会長の冒頭での挨拶と、バレー部現監督・近藤先生の近況報告に続き、神谷バーでの開催にご尽力下さった同窓会台東支部長の松崎先輩による乾杯の発声があって、歓談へと移りました。

9時過ぎまで、昔の思い出話や家庭、職場の話題など尽きることなく楽しい時間を共有でき、OB会の結束と親睦を深めることができました。

バレー部は、インターハイや春高バレーでの東京都代表や、関東大会への連続出場を継続している強豪校ではありますが、ここ十数年というもの、全国大会出場からは遠ざかっています。あと一歩のところで出場を逃したこともあり、現役生徒ばかりでなく、我々OBも数え切れないほど悔しい思いをしたものです。

勉学と部活動の両立といった「文武両道」は実に大変なことであります。しかし限られた時間での厳しい練習に耐え、試合でその実力を存分に発揮し、「全国大会出場」を果たしてくれることを念願して止みません。

同窓会の皆さまも是非、友人知人に声を掛け、一人でも多くの方が試合会場に足を運ばれ、心から熱い声援をして下さるよう、お願い申し上げる次第です。

2月に行われた新人戦を観てみると、新チームはまだ経験不足といった感はありましたが、「ベスト8」を達成してくれました。4月には新入生の入部も考えられるので、レギュラー争いもより熾烈になると思われます。

「チームワーク」を大切に実戦での経験を重ね、ひとつ上を目指して精進してくれれば、関東大会は勿論、全国大会への道も、自ずから拓けるものと信じています。是非、安田バレーの伝統を受け継いで欲しいものです。

昭和62年にOB会が発足してから30年が経過し、継続することの難しさを痛感することがあります。と同時に、年代を超え、「バレーボール」というスポーツでしっかり繋がっているといった、凄さも実感しています。

若いOBの参加者を増やすことが、毎年の課題となっています。歴代父母会代表、先生方、卒業生などと協力し、より良いOB会となるよう努力して参ります。安田学園も平成35年には、創立百周年を迎えます。バレー部のOBとしても、微力ながら協力させていただきたいと考えております。

 

 

(昭和50年商業科卒 串田幸男)

 

 

 

 

 

 

 

 

平成28年度バレーボールOB会を開催

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平成29年2月25日(土)午後6時から、浅草の「神谷バー」においてバレーボール部の定例OB会が開催されました。参加者は総勢24名でした。

先ず、OB会・白鳥会長のご挨拶と、バレー部の現監督・近藤先生の近況報告があったのに続き、神谷バーでの開催にご尽力くださった同窓会・台東支部長の松崎先輩による乾杯の発声があって、歓談へと移りました。

9時過ぎまで、昔の思い出話や、家族・子どもの話題など、尽きることないお喋りで楽しい時間を過ごすことができて、OB会の結束と親睦をますます深めることになりました。

バレー部は、インターハイ、春高バレーでの東京都代表や関東大会への連続出場を継続中の強豪校ではありますが、この10年ほどは全国大会から遠ざかっています。あと一歩のところで出場を逃したことが多々で、現役生徒ばかりでなく、我々OBも、数え切れないほど悔しい思いをしたものです。

勉学と部活動の両立といった「文武両道」は実に大変なことでありますが、限られた時間での厳しい練習に耐え、試合でその成果を存分に発揮し、是非、全国大会出場を果たしてくれることを念願してやみません。同窓会の皆さまも是非、友人知人に声を掛け、一人でも多くの方々が試合会場に足を運び、心から熱い応援をして下さるよう、お願い申し上げる次第です。

今月に行われた新人戦を観ましたが、新チームは経験不足の感があってベスト8に留まってしまいました。実戦練習での経験を積み重ね、自信が備われば、関東大会出場は勿論のこと、全国大会出場も見えてくると思います。今年はそのチャンスがあると信じていますし、期待しております。「伝統は受け継がれていくもの」だからです。

昭和62年にOB会が発足してから30年ほどが経過しましたが、続けることの難しさを痛感することがあります。と同時に、年代を超え、「バレーボール」というスポーツでしっかりと繋がっているといった凄さも感じています。

若いOBの参加者を増やすことが、毎年の課題になっています。歴代父母会代表、先生方、卒業生などと協力し、より良いOB会となるよう努力していきたいと思います。安田学園も平成35年には、創立百周年を迎えます。バレー部OB会としても、微力ながら協力させていただきたいと考えております。

(昭和50年商業科卒串田幸男)

 

 

 

 

 

平成26年度バレーボールOB会開催

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

例年通り2月28日(土)浅草神谷バーに、参加者30名6時集合し9時過ぎまで昔話に花が咲き楽しい時間をすごすことができました。新しい会員の中にはバレー部を途中でやめたのですが参加してくれた方、オブザーバーでは奥様の参加もOKしております。現役高校においては10年ほど全国大会にいっておりませんので今年は、期待できる年だと思います。中学は25年・26年連続し全国大会に関東代表で出場しております。今年は中学・高校両方で全国大会をねらえるチームになるようがんばってください。今後OB会では現役の試合への応援・OB会への参加・会費納入を進めていきたいと思います。これからもご理解・ご協力をお願いいたします。

S40年建築卒・バレー部OB会会長 白鳥武男

 

 

 

 

 

07バレーボール部

 

 

 

 

 

私は、昭和35年に安田中学入学以来50年以上にわたりバレーにかかわってまいりました。安田は、バレーとバスケットが強い学校と認識しておりました。昭和33年頃には両方の部が、初めて全国大会へ出場したと聞いております。それ以来バレー部は、インターハイ・春高バレーには、東京代表として10回以上、関東大会には33回出場している強豪校といわれています。この伝統と歴史あるバレー部をいつまでも応援し、安田学園の名声を高めバレーを通して厳しさ・すばらしさ・そして連帯感を持ってOB会を進めております。会活動として親睦のため、年1度2月最終土曜日にOB会を開催(2/25)し、その他に現役メンバーの試合会場へ応援・大会のお祝い・合宿への差し入れ・父母会との懇談会・卒業生送る会出席等、そしてOB会年会費徴収を、苦労しながらお願いしております。安田バレー部は、中学においては、2回もの日本一という輝かしい快挙がございます。今年も中・高とも関東大会全国大会を目指してがんばっています。安田学園は6年間一貫教育・そして「バレーも6年間一貫バレー」で、安田でバレーをやりたいという生徒がたくさんいるはずです。そうした環境になるように願っております。今の現役メンバーも今年度全国大会に、もう一歩のベスト4の席をキープし、関東大会ベスト8・インターハイ・春高バレー出場できるチームになりつつあると見ております。OB会も期待し応援しているところです。ぜひ同窓会の方々にも、心からの熱い応援を宜しくお願い申し上げます。私達が、このOB会を昭和62年に発足し、25年が経過しておりますが、続ける事の難しさを痛感しております。しかしながら今年もOB会には、昭和22年卒業の大先輩が元気に参加していただきました。この様に年代を越え安田でバレーボールというスポーツでつながっている凄さを感じました。今後は若いOBの参加をどう増やすか、年会費を納めてもらえるか、歴代父母会代表及び先生方・卒業生など協力し、より良いOB会になるよう努力していきたいと思います。それには、いつも現役メンバーが強くいていただきたい。安田学園も平成25年には、創立90周年を迎えます。バレー部OB会として微力ながらご協力させていただきたいと思っております。バレーボール部OB会会長 

白鳥武男(昭和40年建築科卒業)