さちよ会

 

 

 

 

 

 

平成三十年度「さちよ会」

 

 

卒業して五十九年目のさちよ会が例年通り十一月の第三土曜日、両国第一ホテルの東天紅に十六人の仲間が集まりました。今年で誕生日が来た者、これから迎える者、七十八歳になる好々爺です。今回は参加十六人の近況をご紹介します。

大畑喜信君は中央大学卒業後、多角経営の家業を継ぎ八街市の商工会議所の会頭の職を長年に亘ってその重職を果たし、地元の産業界に貢献、今は、株式会社大畑金物店の社長の傍ら趣味の音楽、シンフォニーを聞きに行くことを楽しみしています。

白子達男君は江戸川区葛西地区の町内会会長を長年勤めた後、今は趣味の吟詠の師範として各大会を催し、自ら舞台に立って朗々と吟じています。田島文時君元は木材業を営み、今は趣味の囲碁も上達したとか、また孫と遊ぶことと、昔懐かしい自然の里山探訪を楽しんでいます。内藤明君は法政大学に進み暫く(株)永谷園に勤務後、家業の帽子職人となり今もこの家業を続けている職人肌、また、両国と言えば相撲甚句、今も機会があるごとにお祭りや出初式等々の会場で披露しています。

伊東俊和君は月島九十三軒のもんじゃ焼きの店があり、内六十三軒が加盟する組合を束ねる偉いさん、また、不動産業も少々手掛けている、最近自動車運転免許証は返納したと言う。 三浦久雄君、仲間内では元気そのものだったが、今回は足腰治療の療養最中で大人しい、本来の元気を出してもらい楽しい話を聞かせてもらいもの。

大川良一君長野県松本市深志在住十一年、今回も「さちよ会」に出席するために泊まり掛けで来てくれた。「人生七十八年いろいろ経験するけれど」元気な顔を見せてくれた。 石山和也君も遠方から、この年齢になると病の話は尽きない加齢現象、内容はともかく、今は元気でゴルフに専念、成績も良さそうだ、是非安田ゴルフ会に出席を乞う。 吉井秀夫君三人のお嬢さん、孫が六人、保育園通いも日課になっている。ホンダ勤務の偉いさん、今は地域貢献のゴルフ会(上武カントリー、群馬カントリー)の幹事さん、顔艶もいい、本人は目立たないというが目立っている元気者。

 関口春一君は毎年変わらず病い知らずの青年といった感じ、月三回のゴルフは恐れ入りました。次回お墓の話また聞かせてください。 根村誠君は根っからの靴職人、仕事が楽しい、人生も楽しいと言う。其のうち表彰されるかもしれない。本人の弁では病気したことがないという、羨ましい限り。 小林秀夫君遊びは麻雀、趣味は郵便物の蒐集、特に古い葉書それも年代物、太平洋戦争最中に戦地から送られて来たもの等々貴重なものには興味が尽きないとのこと。 柴田邦光君は、麻雀教室の先生、特にご婦人を生徒に教えていながら、生徒の我儘勝手な言動には閉口しているとか、自慢は運転免許証書き換えの認知症テストで96点取ったこと。細谷幸次君は現役時代はスピードスケートの選手、鋼材関係の仕事を手掛けているが、若干体調を崩しながらも「さちよ会」で仲間に会えるのが楽しみ、クラス会の消息通。 松村正一君は明治大学在学中に公認会計士の試験に合格、現職の会計士、現在、安田学園の理事、同窓会前会長、5年後の安田学園創立100周年に向けてまだ忙しくなることでしょう。ところで本人は浅草生まれ、実家は花川戸の履物問屋の長男、家業は継がずに現職に進みましたが浅草三社祭が大好きな生粋の下町の江戸っ子、今年は結婚50年金婚の祝いの年。おめでとうございます。 最後に筆者、岸浪一正です。卒業後安田商業専門学校から明治大学法学部卒。スポーツはテニス、趣味は囲碁、短歌、レコード、絵画、年二、三回の磯釣りが楽しみ、病気のデパートと言われ、ネフローゼ、脳梗塞、心不全(ペースメーカー)、脊柱管狭窄症で手術、今後何が起きるやら。公的表彰は、スポーツ普及振興の功績で東京都体育協会・会長・石原慎太郎、生涯スポーツ功労者表彰・東京都知事・小池百合子の賞状、今は地元のジュニアテニス教室のお世話と羽村市体育協会監事をしています。筆者が長々と書きましたがお許しください。

今回出席できなかった仲間は次回ご紹介させて頂きます。また、今回の「さちよ会」の席上で、昭和三十四年に卒業した商業科3クラス、機械科、電気科、建築科の全クラス合同の同窓会を我々が八十歳になる二年後に実現できたらとの思いで企画したいと諮ってみました。

これは、今年の一月の安田学園同窓会の席上で昭和三十四年卒業した商業科A・B・Cクラスと建築科のお一人に声掛けしたことで出てきた話で、まだ、各クラスの幹事の方には話が通っていません。できるかどうかは未知数です。5年後には学園創立100周年が来ます。我々も何らかの形で前に進むことを考えてみたいと思っています。宜しくお願い致します。

 

 

記・さちよ会 岸浪一正

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さちよ会」喜寿を祝う  昭和三十四年商業科B組

平成291117

白黒の写真は昭和三十四年(1959)卒業時の記念アルバムからのもので、まだ少年の顔が残るB組総勢五十五人と須賀教頭先生、担任の桜田四郎先生の写真ですこの中には既に故人になった仲間や連絡先不明者が二十四名おります。又、恩師の、桜田先生は平成十四年四月二十日、六十九歳の若さで他界されました。

 実業学校としての当時の安田学園は既になく、今や普通科進学校として、尚且つ男女共学校として既に4年目に入っています。そして国立・公立・私立の有名校に進学する生徒が増えて来ていることは時代の流れの中で、安田理事長先生はじめ多くの方々の先見の明、決断力の賜物と我々卒業生はとっても大変喜ばしく感じるとともに今後のさらなる母校の発展を心よりお祈り申し上げます。

当時の私たちは高校を卒業したら就職するか、家業の仕事する者が殆どでした。進学する仲間は一クラスに十人いたかどうかといった時代でした。昭和三十三年当時は就職難の時代で、一人で何社もの会社の試験を受けた世情でした。それでも1959年(昭和三十四年)には全員元気に卒業し昭和の時代の仕事人として今日の基礎を作ってきた我々だったと自負しています。

 当時の卒業アルバムには安田善次郎翁の銅像の前で、また安田庭園で震災記念堂をバックに親しい仲間同士の写真、「三Bのボス」と言われたそれらしい仲間の写真、全校クラス対抗駅伝大会で三年間、国府台と松戸で襷を渡し続けて三連覇した精鋭たち、不動の面々と言われたバスケットの選手、バレーボール大会も好成績の三年商業科B組チーム、黒板に「貨幣数量説・MV=PT(交換方程式)」と書いて説明している経済学の桜田先生や「評価の基礎・1、原価、2、時価1には市価・・・」は経営学の神尾先生の授業時の写真、(?授業内容はもう忘れました)、そして特に修学旅行の写真は思いで深いものばかりでした。修学旅行は、昭和三十二年に関西に行く予定が、関西地区のインフルエンザの大流行で中止になり翌年に延期、行く先は北海道に決まり、急遽担任から保護者への手紙を全員に渡され、私は母に渡した記憶は覚えています。『今年の関西は中止、来年北海道に行く事になり毎月三千円の積み立てすることになった』という内容でした。

三年生になり修学旅行が実行されました。当時は北海道への修学旅行をする学校は慶應義塾高校だけだと言われた程で、他の学校の友達から『“安田ってすげえな”』、と、『修学旅行は一流高校だな!』と揶揄されました。この時代に北海道の修学旅行を成し遂げた学校・恩師諸先生には感謝しています。筆者は後年、三井銀行時代に札幌支店に六年間勤務して、その後も北海道内を旅行していますが北海道の昭和三十三年当時の写真を見る限り、札幌の人口は約三倍に増え町並みのビル群、札幌市内、特に狸小路周辺の変わり様、月寒の広大な牧草地から見る住宅地は眼前に迫り、すっかり大都会になってしまい当時の面影がなくなったのには一抹の寂しさを感じました。

さて、今回は七十七歳の喜寿の祝いの会になりました。第五十八回「さちよ会」、本年も例年の通り十一月の第三の土曜日に今年は場所を墨田区石原三丁目の「北ざわ」に移してで開催しました。出席者は伊東、石山(牛久から)、大川(松本から)、大畑(八街から)、子池、白子、柴田、関口、田嶋、内藤、細谷、松村、三浦、吉井、岸浪の十六人です。

 久しく再開してもお互い話し出すと高校時代の顔に戻りますが、話の内容は年相応の話になっています。この会も二年後には六〇回目の「さちよ会」になります。この会の名前「さちよ」の由来は桜田先生の長女が生まれた年に私たちを送り出したことで、卒業式が終わった最後のホームルームで「クラス会を作って毎年会おう」と提案「名前は『さちよ会』と言い出したのは「三Bのボス」と言われた仲間の鈴木喜久君だったと筆者は記憶していますが・・・・? 全員が賛成して今日まで続けてこられたことは幹事のお蔭とクラス仲間の結束だと思います。

 さちよさんは小学生の時に短い命でこの世を去りましたが、さちよさんがご存命であれば立派なご婦人になっていたであろうと想像しています。さて二年後「さちよ会」は六〇回を迎えます。また八〇歳の傘寿は東京オリンピック・パラリンピックの年、八十八歳の米寿、九十歳の卒寿、九十九歳の白寿の年です。「さちよ会」をこれからも開催する為に、我々はしっかりと絆を固く連絡を取り合っていきたいと思います。来年も元気で会いましょう。

 

『長歳(ながとし)の我が人生は矻矻(こつこつ)と静かに歩まん夕餉楽しと』

筆者・岸浪一正

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校一年当時の集合写真 山中湖にて

 

今から五十八年前の春、桜花散る中を桜田四郎先生のもとを五十四人の生徒が明日の夢を抱いて安田の校舎から巣立っていきました。五十四人それぞれにいろいろな人生を歩んで来たと思いますが、私が今改めて、当時二十代の桜田四郎先生の教え「安田の生徒は世の中に出て中間職で良い、立派な人生を歩め」というような話をされたことを思い出します。この話、筆者の私だけが覚えているのかもしれませんが、私自身の歩んだ道を思い返すとその言葉通りに歩んだ気がしますが悔いのない人生だったと思います。この「さちよ会」は卒業の翌年から原則として毎年十一月第三土曜日に開催しており、こうして毎年元気な顔を見ることができることは一つの若返りかもしれません。還暦を無事通り抜け、古稀という流れを泳ぎ切り、数え歳で七十七歳の喜寿に到達することが出来ました。思い返せば高校一年生の時、山中湖で撮った集合写真を見ると、桜田先生はまだ二十代の若さ、まだ中学生のあどけなさが残る我々の顔顔顔。歳は十六歳、こんな時代があったのかと感慨深いものがあります。今年の十一月には、満年齢の喜寿を祝って、盛大に祝杯を挙げて祝いたいと考えています。これから八十歳の『傘寿』で元気な姿を見せて、改めて祝いの盃を上げ、八十八歳の『米寿』、みんなどんな年寄りになっているのだろうかと思い、さらに『白寿』の九十九歳の時は誰が祝ってくれるのだろうかと想像してみたくなります。どこまで続くかわかりませんがこの「さちよ会」をこれからも続けていければと思っています。今年の秋、平成二十九年十一月の第三土曜日、今まで来られなかった仲間も一堂に会し長年の労苦を語り、そしてお祝いしたいと思います。(岸浪一正 記)

 

 

 

 

 

『さちよ会』だより(昭和34年卒・商科B組)

 

平成26年11月15日、今年も多くの仲間が第一ホテル両国店・東天紅に集まりました。今回で55回目を数える『さちよ会』の参加者は総勢16人、因みに参加してくれたメンバーは、この日のために、遠方信州松本から来てくれた大川良一君、事業経営で活躍の伊東俊和君、現役ワイシャツ縫製ベテラン職人の池克己君、吟詠師を趣味とし地元葛西の町内会長の白子達男君、帽子職人の内藤明君、そして、まだまだ元気で活躍している柴田邦光君、関口春一君、谷山勝彦君、根村誠君、吉井秀夫君、三浦久雄君、また、『さちよ会』の結束を大切に、みんなに会える楽しさで、長年幹事を引き受けてくれた細谷幸次君、現役引退しても趣味勉強を楽しんでいる田島文時君、鈴木敬四郎君、そして、安田学園同窓会前会長で学校法人安田学園教育会理事に就任した公認会計士の松村正一君、と筆者,岸浪一正(羽村市テニス連盟会長)です。

昭和34年は私たちが卒業した年、今上天皇が皇太子明仁親王の時、正田美智子様ご成婚の年、就職した仲間の初任給は月額8,000円前後、大学卒の初任給は12,000円程、ラーメン1杯30円、三橋美智也の「古城」、村田英雄の「人生劇場」が流行り、山口百恵、榊原郁恵が銀幕に登場、角界では横綱栃錦・若乃花に朝潮が加わり相撲人気華やかな時代でした。 以来55年が経ち、国内外の変わり様は目まぐるしいほどに、政治、経済、産業、特に自動車・ロボット、宇宙まで科学技術の発展は目を見張るものが有ります。

私たちは18歳で安田学園を卒業して、現在74歳。日本の経済成長の活気あふれる良き時代に青春を謳歌し、仕事を持ち、良き伴侶にめぐり会い、成功も失敗も経験して、子供を授かり、孫の可愛さにも目を細め、今の人生を、ここに立っていられることは、素晴らしいものと甘受して已まないと思います。

学園時代には駅伝大会での3連覇、バレーボールで、バスケットボールで、運動会で、各クラブの合宿で、顧問の先生方にもお世話になりました。

3年生の修学旅行の思い出、卒業後も何かと仲良く付き合ってきた仲間には、毎年の11月第三土曜日の『さちよ会』も仲間に会える唯一の機会になっています。 残念ながら、恩師、櫻田四郎先生は69歳の若さで13年前、黄泉の国に旅立ちました。また、同じく早くして別れた仲間を思い出させる日でもあります。 きっと、櫻田先生、さちよさん、そして仲間ともども、この日ばかりは蓮の花の上で楽しく極上のお酒を酌み交わしていることでしょう。

来年の『さちよ会』は、平成27年11月21日(土)伊東俊和君の高級居酒屋に午後5時集合、また楽しい話をしましょう。 皆さんくれぐれも元気で会いましょう。 それまで“さ よ う な ら”

岸浪一正 筆2014.11.25

 

 

昭和34年卒業 商業科B組

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既に10年前に私たちのクラス担任だった桜田四郎先生はお亡くなりになりましたが、このさちよ会は卒業後一度も欠かさずに毎年11月に開かれています。今年も去る11月13日(日)午後5時30分より東武レバントホテル24階のスカイツリーの見える創作料理「簾」にて開かれました。眺望の良いこのフロアーに16名が集まり飲むほどに楽しく歓談しました。当時のクラスメイト55名中既に故人は10名を数え、連絡の取れない者9名という状況です。既に古希は過ぎ来年の平成24年は6回目の歳男の72歳を迎える年齢となり、容貌も皆さん年相応になっています。しかし仕事ではまだ現役の人もいますし、ゴルフのドライバーで230ヤードを飛ばす人もいるので人間努力次第かなとも思います。只、多くは既にリタイヤ組で健康の話、孫の話、年金の話、毎日の時間の使い方等に話が盛り上がるのを見ていると我々の年代では無事・平和が一番かなと思います。我々の生まれた昭和15年当時は、戦争の足跡が間近に迫る年で皇紀・紀元2600年にあたり全国で提灯行列等が盛大に行われ、神武天皇を祭る橿原神宮に昭和天皇が行幸されており、多くの国民が同神宮に参拝された年でした。戦後の廃墟の中で育った我々は、多くの国民と同じように生活の向上を求めて一生懸命に働き何とか生活の安定を得ることができたのではないかと思います。今の若者はと言うと語弊がありますが、平和に慣れて意欲に欠けるところがあると思うのは私だけではないと思います。学校教育の面でこれからは日本国内だけではなく、世界との競争という意味では意識改革が求められます。学園も平成25年(2013年)には創立90周年を迎えますが、当時の実業高校が完全な進学校に転換しつつある現状は一抹の寂しさがあるものの、世の中に有用な人材を送り出すという学園の創立者と仰ぐ安田善次郎翁の創立目的は変わらないので今後の学園の発展のためみんなで応援していきたいと考えています。

 (記・松村 正一)

古稀の祝い

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昭和34年商業科B組卒業

岸浪 一正

古稀を迎えた仲間たち。

昭和34年に卒業して以来、毎年11月に開いているクラス会は52回目になりますが、今年は特別な思いで開催できたと思います。

それは、10年前、我々の還暦祝いに恩師桜田先生をお迎えして盛大に行い、その時に先生が歌った「武田節」、“人は石垣 人は城 情けは味方 仇は敵・・・”と、詩吟を交えて謡った印象は今でも鮮明に覚えています。その先生が、我々の還暦の祝いの翌年、平成13年4月に69歳の若さで亡くなったことです。

私たち高校1年生から3年生に亘る担任としてお世話になった桜田先生は、20代半ばで、しかも背伸びをしようとして大人になりきれない生徒を相手に、相当苦労された事と、何年もたった後、クラス会でお話しされた話しは、特に印象深く覚えています。 この時代の先生のことは、先生が亡くなられた翌年の平成14年5月の『安田学園同窓会会報・第72号』に詳しく『桜田先生を偲んで』ということで載せさせて頂きました。

その恩師桜田先生が古稀を待たずに亡くなられたその9年後、我々は70歳になり、こうして一堂に会し祝うことは、今にして、当時桜田先生から学業やスポーツ以上に仲間の絆の大切さを教えられ、52年の間毎年続けて来られた仲間の絆と、特に先生に導かれてきた教えに対して深く感謝しています。

さて、一昨年は『さちよ会』50周年をささやかに祝い、今年の古稀の祝いのクラス会は東武レバントホテルにて20名の参加を得て行われました。この席上会話が卒業18歳当時にタイムスリップしてしまうと、気の置けない当時の仲間に戻ってしまいます。

各自が話す心境や現状の報告に何の飾り気のない内容は、まだ続けている仕事の話し、孫が何人いる話し、趣味から自慢話しに発展する楽しい話し、大病して回復したり、治療中であったり、職人気質を大切にしている話し、地域ボランティアで貢献している話しから大きな組織の重責を担う地位で活躍している話し等など、それぞれの話しの中で、70歳という年齢まで培われてきた仕事の重さと経験の深さは、話しの端々にある一つ一つから、大切な重みのある人柄に代わり、古稀を迎え、外見は若くても歳相応に柔和な顔になり、それなりの苦労が沁み出ている穏やかさ、風貌がお互いに認め合う古稀の仲間に変わっているのです。

桜田先生は故人になり10年が過ぎようとしていますが、毎年のクラス会の席には『さちよ会』の名前の由来、先生の長女のさちよさん(故人)と共に同席し、一緒に酒を飲みながら話をしている、そんな気がしています。 

卒業当時54人いた仲間も何人かは若くして亡くなり、淋しくなりましたが、我々にとっては思い出話しに生きているクラスの仲間です。

まだまだ70歳からが本番と、これからの人生を謳歌し、また会う来年11月にはますます元気な自慢話を聞きたい、聞かせたいと思っています。

 

49回目のさちよ会

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昭和34年3月卒業の翌年から数えて49回目のさちよ会が去る1120日(金)午後6時30分から母校のそば第一ホテル両国の「東天紅」で開かれました。高校時代3年間の担任は故桜田四郎先生でしたが、まだ20代後半の熱血漢の先生でしたので、なかなか活気のあるクラスだったと思います。さちよ会は先生のお嬢様の名前をつけた会ですが、お嬢様が早世され大変落胆されたのを当時の悪ガキ連が葬儀等をとりしきったという話しも残っており、卒業後も同窓会がつづいているのはこういった影響もあるのではないかと考えています。

当時55名の生徒は、うち既に死亡10名、宛先不明も10名と多く当日の出席者は17名でした。桜田先生も古稀を直前にした69歳で亡くなり、今我々の年齢と同じなので、先生並びに10名のクラスメイトのご冥福をお祈りし、黙祷を捧げました。

毎年開いていると常連のメンバーは決っていますが、何年かぶりに参加するメンバーもおり、現役で頑張っている人は仕事の苦労話しや、リタイアしている人は日々の過し方のこと、そして健康のこと趣味のこと孫のこと等話しはつきず、来年11月の再会を約束しお開きとなりました。

☆出席者:伊東、石山、大畑、柴田、白子、鈴木(敬)、関口、田島、谷山、内藤、根村、細谷、本間、松村、三浦、揚井、渡辺(家)

以上17

(記: 松村正一)